愛知用水の歴史
年 | 月・日 | 事 項 | 内 容 | 資料番号 | 備 考 |
---|---|---|---|---|---|
大正6年 (1917年) | 知多郡冨貴村(現武豊町)の郡農会会長・森田萬右衛門が青年会の精神修養の会で、碧海郡に明治用水があるように知多郡にも木曽川から用水を導こうと講演。17歳の久野庄太郎に強い感銘を与える。 | 森田萬右衛門は元安城農林学校長・山崎延吉の指導を受け、農村自治の念に厚く、村内のため池を整備し農村振興に努めた。 |
年 | 月・日 | 事 項 | 内 容 | 資料番号 | 備 考 |
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大正6年 (1917年) | 知多郡冨貴村(現武豊町)の郡農会会長・森田萬右衛門が青年会の精神修養の会で、碧海郡に明治用水があるように知多郡にも木曽川から用水を導こうと講演。17歳の久野庄太郎に強い感銘を与える。 | 森田萬右衛門は元安城農林学校長・山崎延吉の指導を受け、農村自治の念に厚く、村内のため池を整備し農村振興に努めた。 |